1987-07-29 第109回国会 衆議院 文教委員会 第1号
それはやはり、私は、選ばれたお偉方が密室で議論をするところから始まるのではなくて、関係者がみんな集まってちょうちょう発止の議論、百家争鳴の議論、そういうことをやっていく中から初めて生まれてくるのだと思うのですね。
それはやはり、私は、選ばれたお偉方が密室で議論をするところから始まるのではなくて、関係者がみんな集まってちょうちょう発止の議論、百家争鳴の議論、そういうことをやっていく中から初めて生まれてくるのだと思うのですね。
両論ありまして、今ちょうちょう発止とやっているところでございますが、質問の中でそういうものを明らかにしながら、また私どもも結論を煮詰めていきたいと思っております。 実は私は、この審議会がどうも力を発揮し得るのかなという思いが若干ありまして、そういう面からの御質問を中心にちょっとやってみたいというふうに思います。
しかも先ほどの談合の場合ですが、ちょうちょう発止やるわけなんです。その場合に、わが方は天の声を持っておりますなんというのが出てくるのです。天の声というのは、発注者の側で、今回はこの業者ですと、そこにあらかじめ予定価格その他の線を全部はっきりさせておくということだろうと思うのです。わが方は天の声ということになると、他の業者はみんな、はいわかりましたということで、そこで談合がまとまる。
そういうものを基礎にして百二十二億だの何だのというふうな話が出まして、この間うちの予算でのちょうちょう発止としての戦いがあったと思います。ところが昭和三十六年度以降を考えた場合には、その年になりますと所得税はもう四分の三額じゃなしに、一年まるまるの分の減税という問題になってくるわけですね。ですから百二十二億というその数字はもっとふくれた形に当然なっているべきだと思います。